私がクリスチャンになった理由

神様を一番として歩む時に、神様は私といつも共にいて励まし、素晴らしい祝福へと導いてくださる(50代主婦)


私の両親

私には歳の離れた兄が三人、両親は町工場を経営していました。そして家族全員がクリスチャンという家庭に生まれました。私が生まれる以前は経済的にとても厳しかったようでしたが、両親が信仰を持った頃より、神様の恵みによって、事業は安定し、私は何不自由なく恵まれた幼少期を過ごしました。しかし、父母は共に戦前生まれでしたので、父は戦後シベリアでの三年間の捕虜生活、母は東京大空襲の火の海の中を逃げ歩く…という私には到底想像することも出来ないような人生を歩んできました。しかし、父は子ども時代に近くにあった教会に通っていたこと、戦地で爆撃を受け死を覚悟したことを通して、また母は戦火の中、肉親の相次ぐ死を目の当たりにしたことを通して、心からの平安・真理を求めて、教会に通い、クリスチャンとなったのです。

私自身の歩み

そういう訳で、私は幼い時から聖書の教えに親しみ、聖書の教える創造主なる神様の存在を素直に受け入れ、信じていました。心から信じたのは、小学四年生の時でした。それまでも自分の心に罪があることは分かっていました。しかし、その時、本当の自分の醜い姿を教えられたのです。それは表面には表すことはしなかった心の内にある罪でした。人をねたみ、自分にとって都合が悪い人を排除しようとする自己中心の罪であり、聖書の教えを知ってはいても、実行できない生まれながらの罪でした。しかし、イエス様はそんな私を愛し、私の罪の身代わりとなって、十字架にかかり、死んでくださったのです。そして、死んで終わりではなく、三日目によみがえってくださったのです。私はそのことを心から信じ、受け入れることができたのです。

主が共にいて このようにして、私の信仰の歩みはスタートしましたが、当時の私は、クリスチャンであると宣言することをはばかり、できれば自分の信仰のことはあまり話したくないと思っていました。それは他人から馬鹿にされることを恐れていたからです。しかし、様々な試練を通されていく中で、自分の信仰を公にし、神様を一番として歩む時に、神様は私といつも共にいて励まし、素晴らしい祝福へと導いてくださるのだということを何度も体験させられました。ですから、今、私は大きな声でこのように言うことができます。
「皆さん、聖書で教えている神様こそが、この世界の創造主であり、私たちを罪と滅びから救うことのできる唯一の救い主です。どうぞ、あなたもイエス・キリスト様をご自分の救い主として心にお迎えしませんか」

『はじめに神が天と地を創造した。』  創世記一章一節
『ほむべきかな、主。日々、私たちの重荷を担われる方。
この方こそ、私たちの救い。』  詩篇六十八篇十九節
『この方(イエス・キリスト)以外には、だれによっても救いはありません。
天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は
人間に与えられていないからです。』  使徒四章十二節


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