心の闇
私は昭和十九年、東京で生まれた。翌年、日本は終戦を迎え、戦後の混乱の中、私の母はほぼ年子の五人の子育てをしていたのでさぞ大変であったことだろう。小学、中学時代は平凡に過ごしてきた私だったが、何故か心はいつも満たされなかった。それが何によるのかは分からなかった。高校生になった頃から、自分自身の心の中にある闇を感じるようになった。人を受け入れることが出来なくなり、自分の殻に閉じこもるようになった。大学に入ったが、中退し、ここから私の挫折と転落の人生が始まった。私には二人の姉がいるが、すぐ上の姉が中学二年生の時にイエス・キリストを信じ、クリスチャンとなった。この姉に連れられ、教会にも行ったが、私の歪んだ心はそれを全く受け入れなかった。「クリスチャンなんてみんな偽善者だ」とつぶやいていた。
一通のパンフレット
二十五歳の時、家を飛び出し、放蕩した。悪いこともした。その報いだろうか、私は医者からも見放される大病を患ってしまった。身も心もボロボロになり、絶望の日々を送っていた。そんな夏のある日、結婚して伝道者となっていた姉から一通のパンフレットを受け取った。「あー、またキリストか」私はそれを開くこともなく、寝てしまった。しかし、翌日どうしても気になり、開くと、それはキャンプ伝道集会の案内であった。それは翌日に開かれるではないか。私は母に電車賃をもらい、重い足をひきずるようにキャンプ場に向かった。一日目のメッセージは、イエス・キリストは神の御子であり、人間の罪のために十字架に架けられたという内容であった。しかし、自分には関係ないと、激しく拒否反応を起こし、自分の部屋に逃げ帰った。
飛び込んで
ところが、部屋のスピーカーを通して、そのメッセージがガンガン流れてきた。私は観念して聞いた。どう考えても自分は罪人だ。こんな私を救ってくれるというお方は本当に神の子なのだろうか。ともかく今のままの自分では滅びだ。このお方にすがってみよう。ふと背後に人の気配を感じ、振り向くと親切に案内してくれた青年がいた。「塩澤さん、イエス様の所に飛び込んできませんか」私は何の躊躇なく、「はい。飛び込みます。」と言った。青年は私の手を取り、「塩澤さん、おめでとう。私たちは今から主にある兄弟です。」と、続けてこう祈ってくれた。「主よ。塩澤兄弟を祝福して下さい。救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。」と。私の心は喜びに満ち溢れた。この時から、私の人生は大きく方向転換され、歩むべき道が見えてきた。
一年後、香川での療養生活中、バプテスマを受けた。更に四年後、茨城に導かれ、教会と職が与えられ、その後、結婚もした。しかし、妻は五十歳の時、脳内出血で倒れ、障がい者となり、七年間共に過ごし、天に召された。又、私はだいぶ経ってから、イエス様の十字架の死によって、自分の罪が赦されたことがはっきり分かった。その時、長い間、恨み憎んできた父を心から赦すことができた。だが、イエス様の教えは赦しにとどまらず、「互いに愛し合いなさい。」であった。神様は、こんな私を先ず愛し、私の罪の身代わりとなって十字架で死んで下さった。私は神に愛され、初めて愛を知った。
『私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。』
ローマ人への手紙五章八節