単立バプテスト荒川沖教会はこのような歩みをたどってきました。


1958年-

米国より、クラウリ師ご家族来日。青森県五戸町で伝道を始め、七戸、野辺地と6年間伝道され、キリストを信じる方が起された。その後、家族の健康上の理由で、青森から茨城県荒川沖町に移り、公民館を借りて集会が始まる。その間、多数が集いキリストを信じる。


1960–

教会堂建設においては、自らがブロックを積み半地下のある会堂を職人さんと一緒になって建設。日本人を愛し1人でも多くの方が福音に接しキリストを信じる事ができるようにと願い、3年間宣教に努めた。多くの方が信じバプテスマを受けた。その後リクターズ宣教師が2年間働き、荒川沖で最初に救われた高橋兄(後に川田に名前変更)が責任者になった。青森で救われた野呂兄、久保兄、八木橋兄がブラジル伝道のため横浜港から出航。後に姉妹3名が助け手としてブラジルへ渡る。川田師ご家族は、ハワイの日系人伝道に召され横浜港から出航。


1970–

荒川沖教会の無牧が8年続き、川田師の同労者であった田中兄が1971年に按手を受けて牧師になる。教会堂2階が増築され、牧師室・ホールとして活用。単立教会の第6回交わり会が荒川沖教会で開かれ、今日まで続いている。佐藤正春兄、関西単立バプテスト神学校を卒業し、荒川沖教会で按手礼を受け、台湾への派遣式を行う。


1980–

牧師館の土地(現新会堂の土地)をクラウリ師より譲り受ける。佐藤宣教師家族が台湾での4年間の語学学びと宣教の働きを終えて帰国。ある日曜日、隣接の解体工事現場からの飛び火で、教会の一部が消失した。その後、プレハブが建てられ、ホール兼食堂として利用。つくば科学万博時には、米国からクラウリ師ご一行が来られ万博会場にてトラクトを配る。ブラジルから宣教師方が20数年ぶりに一時帰国され、交わりの恵みにあずかる。


1990–

教会堂の老朽化により、新会堂建設準備委員会を発足し、祈り会(毎土曜6時)が持たれる。海外から働きに来ている方々が教会に導かれバプテスマを受ける。教会の墓地が整備され、納骨する場所が設置された。


2000–

バリアフリーの宿泊施設を伴った新会堂が完成し、献堂式を行う。海外各地から宣教師の先生方が来られ、祝福を戴く。鈴木裕之兄は、献堂式にて諸先生方の宣教のスピリットに触れ、献身の召しを確信し、献身を表明した。その後、関西単立バプテスト神学校に導かれ、学びを終えて荒川沖に戻り伝道師となる。36年間牧師として尽力された田中牧師は心臓病により2007年天に召される。鈴木兄は、2008年1月に按手を受け牧師になる。鈴木牧師夫妻は、聖書の権威に従い正しい教理の下、賜物を活かし子供伝道にも力を入れている。2012年には、教会名称を単立荒川沖教会から単立バプテスト荒川沖教会に変更し、教会の立場をより明確にした。幼児からお年寄りまでが、またハンディがある方々も共に集い、キリストの愛にあふれた温かい教会を目指す。

2018年7月、創立60周年記念礼拝を行う

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