私がクリスチャンになった理由

最後まで信仰を守り通して


私の生い立ち

私は両親がクリスチャンという環境の中、二歳上の兄に続き、長女として生まれました。父は結婚する前に、今、私が集っている荒川沖教会の会堂管理の働きを担っていたと聞いています。若いながら、とても熱心で、まっすぐな信仰者だったそうです。当時はブラジルに行き、宣教師として働きたいとの思いもあったそうですが、父の故郷・青森に挨拶回りへ行くために、荒川沖を離れた後、父は教会から離れてしまう結果となりました。私たちの生活は大変困窮し、母は私と兄を連れて教会へ行くためのバス代を捻出することさえ難しく、月に一度教会へ行くことがやっとだったようです。やがて、父は事業に失敗し、知り合いの方への詐欺行為をし、警察に捕まってしまうことになりました。

 

愛の必要

そのことがきっかけとなり、母と兄、私は夜逃げ同然で、母の実家がある茨城に戻って来ました。私が小学六年生の時です。駅に着くと、無邪気でとてもかわいい女の子が私たちを迎えてくれました。私は、その女の子がなぜそんなにいつも楽しそうなのか、不思議と憧れていたことを覚えています。(現教会の牧師夫人です。)やがて、私は中学生となり、教会のキャンプに参加しました。「常に喜べ、たえず祈れ、すべてのことに感謝せよ。」とのメッセージを聞き、私もそのようになりたいと思いました。そして、そのためには、イエス様の愛を受け取ることが必要であることに気が付きました。イエス様は私を罪から救うためにご自分の命を犠牲にして、十字架にかかって死んでくださったのです。

 

母の教え

母は、自分自身の経験からか、幼い時から、私たち兄妹にとても厳しく接してきました。しかし、その母から常に教えられてきたことは、旧約聖書の出エジプト記に書かれている十戒であり、「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」ということでした。母は礼拝を守ることを、また他の何よりも神様を一番とすることを大事にしていました。中学時代に信仰を持った私でしたが、クリスチャンらしい生活というよりも、神様を悲しませるような生活を多くしてきた者でしたが、神様はこのような者でも愛し、見捨てず、憐れんでくださいました。私は本当に小さき者ですが、この地上での命ある限り、礼拝を献げ、まだイエス様を知らない人たちへ素晴らしいイエス様を証ししていける者になりたいと思っています。今は、もう父と母はこの地上にはいません。あの時以後、父とは疎遠になり、父は孤独死をしましたが、最後は家族で賛美と祈りをもって葬式をすることができました。母は私たちの救い主イエス・キリスト様への信仰を最後まで守り通し、主の憐みと平安のうちに、家族に見守られながら平安の内に天に召されていきました。私はこのことを通して、弱い私たちであるからこそ、自分自身の罪を悔い改め、いつも主を見上げて歩むことの大切さを実感しました。私も最後までイエス様を信じる信仰を守り通していきたいと思います。

 

信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。

へブル人への手紙十二章二節

 

 

 

 

 

 


関連記事

TOP