私がクリスチャンになった理由

娘の病気を通してイエス様が身近に(60代女性)


キリスト教との出会い

私は茨城町の小さな農家の長女として生まれ、結婚するまでそこで暮らしました。高校、就職と水戸市内へ通ったため、近くにキリスト教会があったのを覚えています。しかし、その時は、外国の宗教が水戸にもあるのだなぁと思ったくらいでした。その後、結婚して江戸崎町へ引っ越しましたが、土地勘もなく、知り合いも一人もいず、病気の両親を置いてきてしまった自責の念もあり、だんだんと落ち込んでしまいました。すると、夫から紹介されたと言って、婦人伝道師の方が訪問してくれるようになり、聖書の話を教えて下さいました。その先生の借家である六畳一間の小さな教会へも、お付き合い程度で時々行っていましたが、信仰を持つまでには至りませんでした。

娘の病気を通して

婦人伝道師の方は、長男の出産の時も、また次の長女の出産の時も、直前までお祈りに来てくださいました。ハプニングはそういう時に起きました。長女が生まれて三日目のことです。担当医より「どうも様子がおかしい」と、突如、娘は救急車で大学病院へ転送されてしまいました。病院ではあらゆる検査をしましたが、原因が分からず「もうだめかもしれない…」と、言われました。私は一縷の望みをかけて、イエス・キリスト様にお祈りをしました。今までになく熱心に涙を流して、「イエス様、娘を助けて下さい。助けてくださったら、私はあなたを本当に、心から信じます。」と。今、思うとその時の私の祈りは、本当に切実な、また神様を試すような身勝手な祈りでした。

病が癒やされて

婦人伝道師の方をはじめ、多くの方々が娘のために祈っていてくださったようでした。すると数日後、医者も不思議がるほどに、娘の病気は回復に向かいました。約一カ月程で退院することができ、その後は以前の病気を疑うほどに元気に成長しました。私はこのことを通して、神様を信じてみようと思い、聖書を読むこと、祈ることを始めてみました。

 

『神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。』

 ローマ人への手紙八章二十八節

長女が生まれてからのハプニング、どうしてこんな事が起こったのか、こうでもしなければ、私のように、人を恐れ、キリスト教なんか信じたら損をするんじゃないか、優柔不断な私を神様に向かわせるために、神様が為さったことだったのではないでしょうか。万物の造り主である神様に背いて歩んでいた私の罪、自己中心の罪のために、イエス・キリスト様が十字架に架かって死んでくださったのです。そして、三日目によみがえり、今も生きておられるイエス様を信じるなら、罪が赦され、天国へ行けることを知りました。私はこのことを信じ受け入れ、死んでも天国へ行くことができるという確信が与えられ、とても平安があります。

『まことにまことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて私を遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。』

 ヨハネの福音書 五章二十四節


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