K兄のあかしTestimony of a brother

当教会の男子大学生のK兄が、自身の通う大学で話したあかしを紹介します。

彼の通っている大学はキリスト教主義に基づいていますが、ほとんどの学生はクリスチャンではありません。数少ないクリスチャン学生の中からチャペルの時間に奨励をするよう頼まれたそうです。


日曜日には教会メンバーに内容を相談し、前日、前々日は夜遅くまで準備して臨みました。
教会メンバーに祈られながら迎えた当日、約200人の学生が集まり、本人は大変緊張したと話していました。

キリスト教をあまり知らない学生にもわかりやすいようにと大学教員から言われ、前半は、身近にある聖書の言葉やキリスト教文化について話しました。
後半は、K兄自身の経験からイエス・キリストを信じて生きることのすばらしさを語りました。
今回はその後半部分を紹介いたします。


…そして2つ目に私がキリスト教を信じたきっかけについて話していきたいと思います。私がキリスト教を信じることになったのは、父親が牧師であり両親ともキリスト教を信じていたことがきっかけです。物心ついた時から、両親は教会に行っていて、私も小さいころから当然のように毎週日曜日は教会に通っていました。教会は、大人・子ども合わせて60人位で、仲の良い親戚や従妹、同年代の友達もたくさんいて、とても楽しみに毎週通っていました。そして小さい時から、教会の先生に、イエス・キリストの話を聞き、また両親からも寝る前とかに子供用の絵本などを読んでもらっていて、キリスト教を当たり前のように受け入れていました。
 そして私がはっきりと自分の意志でイエス・キリストを信じようと思ったのは、小学4年生の時です。教会では、毎年夏にキャンプを行っているんですけど、そのキャンプで先生のイエス・キリストの十字架の話を聞いて、今まで曖昧で当たり前のように感じていたのが、確信に変わり、はっきりとキリスト教を信じる決心をしました。これが私がキリスト教を信じたきっかけです。
最後として3つ目に炎のランナーという映画と私のキリスト教徒としての人生を交えて話をしていきたいと思います。

―ここで紹介された炎のランナーのあらすじは割愛いたします。―

 ここからはこの映画を踏まえて、私がキリスト教を信じているからこその、喜びと苦悩について話していきたいと思います。私は小さいときから毎週日曜日は教会に行くというのが習慣になっていました。しかし、小学校、中学校と上がるにつれて、日曜日を守ることが難しくなってきて、様々な困難と誘惑に悩まされました。日曜日に教会に行くことは、別に強制じゃなく、自分の意志で決めるのですが、私は日曜日は教会に行こうと決めていました。  
 私は、小学校から高校まで10年間サッカーをやってきて、小学校の頃は、地元のチームに入り、中高はサッカー部に所属していました。小学校の頃は、そうでもなかったのですが、中学、高校に上がると、日曜日に練習や、試合、時には大会などが入ってきました。日曜日は教会に行くという事を決めていたので、入部する前に監督には、日曜日は、教会に行くので部活に参加することは出来ませんという事を伝え、了承をもらい入部しました。しかし、大会や試合が日曜日に入ると、私の気持ちとしては、もちろん部活に行きたい思いと、日曜日は教会に行き礼拝をするべきという思いがあり、とても悩みました。チームメイトが、必死に汗を流し練習している中で、監督にアピールし、どんどん上手くなっていくのに対し、私一人だけ日曜日に教会にいっているという事がとても悔しく、もどかしい時期もありました。最初の頃は先輩、また同級生からなぜ日曜日に練習や試合に来ないのかという事を言われたこともありましたが、時が経つにつれて理解してもらえました。日曜日は部活に参加することができないので、その代わりに平日や、土曜日に必死に練習し、監督にアピールして2年生になったときからスタメンとして試合に出してもらえるようになりました。そして中学3年の最後の大会である総体では、市で優勝することができ、個人でも優秀選手賞に選ばれることができました。
 このような素晴らしい最後で終わることができたのも、部活に行くよりも日曜日を守り教会にいったからこそだと思います。聖書にこのような言葉があります。「だから神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすればそれに加えて、これらのものは全て与えられます。」とあるように、部活よりも神様を優先したことで、このような素晴らしい祝福を神様は私に与えてくださいました。エリック・リデルが日曜日に教会を優先したことで、金メダルを獲得したように、私も日曜日を優先したことで、神様から優勝と優秀選手賞という素晴らしい祝福を受けることができました。このように、イエス・キリストを信じていることで様々な困難がありますが、困難以上に素晴らしい栄光を神様は私たちに与えて下さるから大丈夫であるということが、私の経験を通して伝えたいことです。

 私の話を聞いて、少しでもキリスト教を身近に感じ、少しでも興味をもってくれたら嬉しいです。ありがとうございました。

当日はK兄のクリスチャンでない友人も来て、「よかったよ」と言ってくれたそうです。
また、クリスチャンの友人には「やっぱ礼拝を守ることは大切なんだな」と言われ、彼の話が励みになったことがうかがえました。


教会では子どもたちに好かれてよく遊んであげているK兄。


これからも神さまに用いられますように。

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