悲しかったこと
私は両親と三人で暮らす明るく元気な少年でした。人生の大きな出来事として、小学四年生の時に両親の離婚がありました。友達と別れることも辛かったのですが、何よりも辛かったのは、私が就寝した後に両親が私の事で口論になっていたことでした。私は自分が原因で両親が口論になっているのではと思い、自分はいなくなった方が両親のためになるのでは…と考えるようになりました。しかし、当時の私が知る限りでは、死ぬことは「無」であり、想像するととても恐ろしく、到底死ぬことなどできませんでした。ですがその時から死ぬことの恐怖、解決の無い悩みがずっと私に付きまとうようになりました。時は過ぎ、何となく過去のことは見ないように、自分を過度な自信で固め、順風満帆であるかのように装い、社会人になっていきました。
天国への一歩
二十二歳の時、職場の一人の女性がクリスチャンであると知り、驚きました。それは幼い頃に見たある宗教団体事件が余りにも衝撃的で、その記憶から宗教は悪と思っていたからです。しかしその女性は明るく、悪い人にはとても見えませんでした。私はその方が騙されているのではと思い、救出を考え、教会に足を運びました。そこで私は大きな誤解をしていたことに気付かされました。教会の方々は温かく、とても良い所でした。牧師先生は熱心に聖書の学びをしてくれました。聖書には本当の神がおられ、私を愛しておられること、また死後は無ではなく、天国と地獄があることが書かれていました。それは最大の悩みの解決でした。私はただ素直にこんなに辛い世の中ではなく、天国に行きたいと思い、イエスキリストを信じ受け入れる決心をしました。
永遠に続く希望
現在、私は個々ではありますが両親と良好な関係を続けられています。また教会という最高の家族がいます。子どもから大人まで、世界の創造主である聖書の神様を信じる人たち、その集まりが教会です。過去にあった苦しく辛い事を覆いつくし、溢れるほどの愛と喜びを私は受けています。神様は私の人生最大の悩みを解決してくださり、一番欲しかった家族の愛、さらに天国まで続く「永遠のいのち」を私に与えてくださいました。私たちの罪のために十字架で死なれ、墓に葬られ、三日目に復活したイエス・キリスト様を信じるだけです。これが神様の約束してくださった絶対に無くならない希望です。この先に様々なことが起こったとしても最大限の安心の中で生きて行けると断言できます。イエスキリストにある希望、受け取ってみませんか?
『神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、
世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、
彼らに弁解の余地はありません。』
ローマ人への手紙 一章 二十節
『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、
一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』
ヨハネの福音書 三章 十六節