私がクリスチャンになった理由

コンプレックスと挫折、いつも何かに不満を持ち満たされない心の原因が解決されて(40代主婦)


キリスト教と聞いて多くの方は「外国の宗教だから自分には関係ない」と思うでしょう。私の両親はクリスチャンで小さな頃から教会で聖書の話を聞いていたので、イエスキリストが神様であることをなんとなく信じていました。しかし、周囲に教会に行っている人はおらず、私は自分がクリスチャンであることを隠していました。中学生になると、教会へ行くことより、部活や友達と遊ぶことが私の優先事項となりました。聖書に従って生きるより、自分の好きに生きる人生を選んだのです。やがて成人し、自分の人生を謳歌したかと言えば、そうではなく、行き当たりばったりの無計画な人生で、自分の理想とする進路・就職が出来ず、コンプレックスと挫折を味わっていました。それでもまだやり直せる、楽しく生きていこうとお酒を飲み、嫌な事から逃げていました。
そして私は、無宗教であった主人と結婚しました。主人はとても優しく、何一つ不自由のない暮らしであったのに、私はいつも何かに不満を持ち、つぶやいていました。今思えば、それは…私はこのままでいいのか、この満たされない心を誰かに助けて欲しいという魂の叫びでした。次男が三歳になった頃、いつも断っていた母からの教会のクリスマスの誘いに、少しだけ心を開き、行ってみることにしました。そこは私が子どもの頃に行っていた教会とは違う教会でした。初めて集う私に皆優しく接して下さり、とても温かい雰囲気の場所でした。「一度だけ」と決めていたのに、帰る時には「また来ます」と言う自分に私自身がとても驚きました。それから教会の幼児サークルに通うようになり、イースターをきっかけに日曜日の礼拝にも参加するようになりました。


礼拝で牧師先生のメッセージを聞くうちに、自分がこれまで犯してきた罪の為に、イエス様が十字架にかかり、罪の罰を受けてくださった事を改めて理解しました。子どもの頃、何となく信じていたイエス様をその時、はっきりと信じる事ができたのです。その時の私は何かした訳ではありません。イエス様が「あなたの罪は赦されています」と言って、差し伸べてくださった手にすがっただけです。私は教会に行く事をとても恐れていました。それは私の心の奥底にある真っ黒な心を神様に裁かれ、厳しく罰せられると思っていたからです。しかし、神様は私が自分の罪を認め、イエスキリストこそ神であり、自分の救い主であると信じた時、すべての罪を赦してくださったのです。神に頼らず生きていけるという高慢な心もすべて赦してくださったのです。

「まことにまことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。」ヨハネ五章二十四節

私はそれまで感じていた満たされない心の原因が分かりました。それは自分の罪(神様に背を向けていること)が解決されていなかったのです。しかし、今は神様の憐みによって、罪を赦され、いつ死んでも、天国に行けるという確信が与えられ、私の心は満たされています。もし、心が満たされていない方がいたら、是非教会に来て、イエス様のことを知って欲しいと思います。イエス様は十字架にかかり、死なれた後、三日目によみがえり、今も天国で生きておられます。イエス様を信じる者だけが、永遠のいのちを持ち、天国に行くことができるのです。


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