不安と落胆
私はフィリピンで生まれました。両親はお金のためにいつも言い争い、父はギャンブルにはまっていました。そんな弱さのある父でしたが、私は父を愛していました。ところが、父は私が十五歳の時に心停止で急死しました。その後、母は一人で四人の子たちを養うことは難しく、私は教師を目指して通っていた大学を中退し、家族の稼ぎ手となるために、日本にやってきました。二十歳の時、工場で働き始めました。私は孤独でした。その孤独を紛らわすために、主人と出会い、結婚し、三人の子どもの母となりました。しかし、それは不安と落胆の日々、言い争い、怒り、憎しみに満ちた結婚生活でした。それでも私がその生活を続けていた訳は、父親なしで子どもたちを育てたくないという思いだけでした。そんな時、末娘がてんかんを発症しました。
イエス様との出会い
その癒しのために、同僚が祈ってくれました。彼女はクリスチャンでした。末娘の病気は癒されました。半年後、私たち家族はお礼を言うために、教会を訪れました。礼拝が終わった後、メンバーの一人が福音(グッドニュース)を語ってくれました。
『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』
ヨハネの福音書三章十六節
私はカトリック教会で育ったので、この御言葉をよく知っていました。しかし、その日、本当の意味を初めて知りました。神が私たちを無条件で愛してくださっていること、私たちの罪のために、ひとり子イエス様が十字架に架かって死んでくださったことを。私と主人は、イエス様を救い主と信じ、受け入れました。
解放と回復
私たちはもっとイエス様を知りたいと思い、熱心に教会に通い、聖書を学びました。しかし、私は二重の生活を送っていました。クリスチャンであり、ギャンブラーだったのです。借金返済を理由に、実はストレスを発散するために、パチンコへ行っていたのです。「主よ、赦して下さい。私には返すべき借金が…」と。このルーティンは何カ月も続きました。私はギャンブル依存症だったのです。しかし、神様は、その生活を止めるべきことを教えてくれました。私は神様に信頼して祈り続けました。その三ヶ月後、神様は私に夢だった「教師」という仕事を与えてくれました。私はギャンブルの呪いからも解放されました。神様は私たちの結婚生活、砕けた夢、そして無駄な人生のすべてを回復させてくださったのです。そして、神様の恵みによって家族全員が救いを頂くことができました。
『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。』
使徒の働き十六章三十一節
今、私の人生を振り返ると、聖書に書かれている御言葉の通り、すべてが益となっているということができます。
『神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。』
ローマ人への手紙八章二十八節
神様は私の人生の中で、神様の素晴らしい栄光と恵みを最終的に見ることができるように、これらすべてのことを経験させたのでしょう。私は試練にあったからこそ、イエス・キリストを見出すことができたのですから。これからもイエス様は私の人生の主であり、私の希望・光です。皆さんにもこのお方を知って頂きたいです。