放蕩生活
私はフィリピンの一般的なカトリック家庭に生まれ、教会堂にある彫像を拝むなど、カトリックの信仰と伝統を守って育ちました。私がまだ幼い頃、両親はすでに離婚しており、崩壊した家庭で育ちました。私を大切に育ててくれたのは祖父母であり、言葉では説明しきれないほどの愛情を注いでくれました。私は両親よりも祖父母をずっと愛してきました。しかし、親の導きなしに成長することは困難で、私は反抗的になりました。私は悪い友達を持ち、酒を飲み、薬を飲んだりするようになりました。酔っ払うたびに、目についた人とけんかをしていました。それは大学に入っても変わりませんでした。それで父は、母と一緒に暮らすよう私を日本に送ることにしました。それは私を変え、良い人間にするためでしたが、結局何も変わりませんでした。
娘のために
私は日本で妻と出会い、やがて長女が生まれ、結婚しました。始めの頃、妻との関係は良くありませんでした。私達はいつももめていて、別れたいというところまで来ていましたが、私は娘を心から愛していたので、そうすることはできませんでした。娘には決して壊れた家庭で成長してほしくなかったのです。何年か経ち、さらに次女と長男が生まれ、その頃には夫婦関係もだいぶ改善されていました。しかし、当時の私は自分の体に入れたタトゥーを見せることを誇りに思っており、カッコいいと思っていました。そんな時、クリスチャンになった友人が私達の家を頻繁に訪れ、教会で行われる日曜日の礼拝に出席するよう私達を説得しました。その友人はクリスチャンとなり、以前の生き方と全く変わったことを私は知っていました。
変わりたい
そのことを通して、もし彼にこのような変化が起きたのなら、私でも変われると思ったのです。 二〇一七年七月、私と妻は初めて聖書の学びをしました。イエス・キリストが私の罪の身代わりとなって、十字架で死なれたこと、三日目に復活されたこと、そしてこのお方を信じるなら私の罪が赦され、神の子どもとして新しくされることを知りました。この日、私と妻はイエス・キリストを信じ、救われました。私のような者が全能の神の子どもの一人になるとは想像もできませんでした。私は牧師の説教から、また自分で聖書を読み、多くのことを学びました。私と神との関係は深くなりました。私はマリア像、その他すべての聖人の像を拝むべきではないということを学び、それらをすべて処分しました。また、自分の体を傷つけてはならないことも学び、以前は誇りとしていたタトゥーを隠し、体を壊す飲酒も、時間はかかりましたが止めることができました。私は今、私の家庭生活の中で驚くべき神様の働きを体験しています。三人の子ども達は幼いながら既にイエス・キリストを信じており、私達は神様の祝福を受けています。家庭の中心に神を置き、人生の車輪を神に委ねました。神様は本当に力強く働かれるお方です。自由、愛、真実、満足、希望は、私が神様から受けた多くの祝福のほんの一部です。神様への正しい道を知った時、私はさまようことをやめました。今、私達は六人家族です。私と妻、三人の子ども達、そして最も重要なのは、全能の神様です。
「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって
救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。」
エペソ人への手紙二章八節